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マメオ

Author:マメオ
Mr ビーンズことマメオです。
1951年1月3日生 ♂
出生地:高知県内
現住所:神戸市内
家族:女房一人、息子二人、嫁二人、孫四人、熱帯魚?匹、その他昆虫、爬虫類等多数
趣味:クライミング、家の掃除など
収入:そこそこ

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「フリークライミング」は本質的に危険をともなう行為です。未経験者は必ず適切な指導者のもとで行ってください。 すべて責任はクライミングをおこなう、あなた自分自身が負うものです。このコンテンツを見て岩場でクライミングを行い、事故が起きても、このページの作者は一切その責任を負いません。

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夏休み2日目「吹屋ふるさと村」の巻

磐窟渓を後にして一路「吹屋ふるさと村」へ行こうとしたら
女房が野菜を買いたいと言い出したので川上バスセンターに逆戻りした。
ここでジャガイモ、トマト、ピリ辛ピーマン、ねぎ、傷物の桃(10個千円)、スイカ(千円)などを買った。
スイカを地元のジィちゃんに選んでもらったが滅茶苦茶美味かった。

備中地域局の横を通り、新見に行く途中から標識に従い車を走らせたら約20分ほどで「吹屋ふるさと村」に入った。
最初に目に付いた『広兼邸』を見学した。
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この城壁の様な石垣の上に建てられた建物は大野呂の庄屋だった広兼氏の住居跡だ。
同家2代元治が享和(1801年〜1803年)、文化(1804年〜1817年)の頃、小泉銅山とローハ(ベンガラの材料)製造で巨万の富を築いたそうだ。
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庭には水禽窟(すいきんくつ)があり涼やかな音をさせていた。
ここで「吹屋ふるさと村周遊券」大人800円を買った。

次に『笹畝坑道』を見学した。
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坑道の中は年中15度前後だそうで非常に涼しかった。
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今も一心に掘り続けています(笑)。
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次に『ベンガラ館』に行った。
P1000723m.jpg
受付のお婆ちゃんが教科書を読むようにすらすらと説明してくれた。
「弁柄(ベンガラ)とは、別名紅殻とも云う。酸化第二鉄(Fe2O3)を主成分とする赤色の無機顔料である。ベンガラの名は、インドのベンガルに由来しているといわれる。
朱とともに最も古くから用いられた赤色顔料である。
吹屋の弁柄は吉岡銅山との関係が深く、銅山の捨石である磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)から偶然発見されたといわれる。」と言う具合に…

続いて吹屋の町並みを見て回った。
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こぢんまりした静かな町並みは弁柄で赤く塗られていた。
ここで『郷土館』と『旧片山邸』を見学し、少し離れた『吹屋小学校』へ足を伸ばした。
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築110年は現役の小学校としては日本最古だそうだ、生徒数は6人。ええ感じやった。

前々から一度訪れてみたかった吹屋ふるさと村は私の期待以上だった。
おばあちゃん達が経営する喫茶店でコーヒーを飲みたかったが定休日だった。残念。

吹屋ふるさと村を後にして新見から真庭市の神庭の滝へ向け車を走らせた。
神庭の滝は明日。

夏休み2日目「磐窟渓」の巻

7時半に朝飯を食い、早速「磐窟渓」に車を走らせた。
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メニューは、揚げ出し豆腐、海苔、シジミの味噌汁、漬物だった。シジミの味噌汁は絶品だった。

朝日堂の直ぐ横の道、成羽川の支流の布瀬川右岸を約10分程走るとトイレのある駐車場に着いた。
6-11-26[1]m
この写真は、他のHPから拝借しました。秋は紅葉が綺麗だと思います。

日本100岩場には「磐窟渓(いわやけい)」と出ているが、ルートのある岩壁は正式には「磐窟谷(いわやけい)」と呼ぶみたいだ。
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100岩場のトポと照らし合わせたら、右の壁が「前壁」、真ん中が「内壁」、左が「外壁」となっている。
「三面鏡・前壁」にはプロジェクトを含め4本のルート(5.11c〜5.12a/b)がある。
「三面鏡・内壁」はプロジェクトを含め7本のルート(5.10c〜5.12c/d)がある。
「三面鏡・外壁」にはプロジェクトが1本あるのみだが開拓の余地は充分にあるように見えた。

前壁の向かって右に「四十オトシ」という壁がある。
P1000710m.jpg
ここにはルートが無いようだが、左上するクラックにフィックスロープが張ってあった。
見た感じクラック部分が脆そうに感じた。

三面鏡の前の道路脇に車を5台程止めれるスペースがあった、ここに車を止めれば取り付きまでは
数分の距離だろう。
100岩場の説明で、「古くより知られていたが、北面であることと、傾斜があまりないので、最近まで
本格的に開拓されることがなかった。うすかぶりの長いフェイスが特徴。」とある。
私は、うすかぶりの長いフェイスルートが大好きなので、物凄く登攀意欲をそそられた。
ここは主にMORISAMAが開拓されている。
ボルトや終了点の状態を確認して膝の故障が癒えたら是非登ってみたい。
しかし国の名勝に指定(昭和6年)されているのだが問題は無いのだろうか…・

ところで17日夜、クーラーをつけていたが、布団無しでは肌寒く感じるし、かぶれば暑いしと
なんとも寝苦しかった。そこでクーラーを止めて窓を全開にしたらヒンヤリした風が入って快適に眠れた。朝方は寒く感じるほどだった。さすがは大きな川があり山に囲まれているだけあって昼間は暑くても夜は涼しいんやと思っていたら、なんと全国的に涼しかったらしい。
いままで夏、用瀬小屋では暑くて寝苦しい思いを何度もしてきたのにすっかり忘れていた。

明日は「吹屋ふるさと村」を紹介します。

夏休み1日目

お墓参りを兼ねて女房の里に帰ってきた。
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山陽自動車道和気IC横にあるいつも気になる岩頭


実家に寄る前に福山東ICから約15分のところにある墓地で草抜きとお参りを済ませた。
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お墓参りのあと腹が減ったので南蔵王町にある中華レストランに行きスープ冷麺と焼餃子を食べた。。
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酸っぱいスープときし麺のような麺が旨かった。
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ここの焼餃子は具タップリで美味しい。

実家に寄る前にもう一軒寄り道をした。
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姪の子どものソウ介。5月に生まれた。だれ似かなぁ…。

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今年90歳になる義母。マダマダ元気だ。

話をしたりテレビを観たりして4時過ぎに実家を出て今夜の宿の備中町の「朝日堂」へ行った。
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前々から一度泊まってみたかったし、淡路の旅館が駄目だったので急遽思いつき
行く事にした。
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六畳の和室。二人部屋かな。狭いが綺麗。
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部屋にトイレ付きユニットバスがある。歯ブラシ、カミソリ、シャンプー、コンディショナー、ボディーシャンプー、タオル完備。浴衣もありました。

2階に大浴場?が別にある。男女交代に入る。
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脱衣場と洗面所。綺麗です。
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3人で丁度の浴槽。洗い場は4人分。シャンプー、コンディショナー、ボディーシャンプー完備。
脱衣場にはタオルと小さ目のバスタオルがある。

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夕食は牛肉のステーキと少量の刺身、鱧の吸い物、サラダだった。日本料理の「朝日堂」とあったので牛肉のステーキにはガッカリした。ただ18日から夏休みに入るので材料を仕入れていなかっのかも…でも生ビールを飲みながらの食事は旨かった。
これで一泊二食付き6300円は安い!のかな?

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2階の部屋から見た風景、この奥に「磐窟渓」がある。
18日に見に行ったが垂壁の良さげな壁だった。アプローチが殆ど無いのがいい。
詳しくは明日。

日韓戦

星野Japanが韓国に負けた。
しっかし日本の負け方が悪過ぎる、腹の立つ。

新井のツーランのあとに和田がツーランを打たれたのは仕方ないとしても
9回の頭から何故、藤川か上原を出さなかったのか非常に疑問を感じた。
結果論やけど星野監督の投手の交代が後手に回ったのが敗因やと思う。
まぁ〜延長戦を考えてのことやろうとは思うけど…

それにしても9回の守備の拙さと気の抜けたプレーは見ていて腹が立った。
村田!飛び込めよ!
阿部!プロ止め!矢野に代われ
とテレビを見ながら思わず叫んだ。
ん……寝よ!

終戦の日

先の太平洋戦争での日本人犠牲者数は、兵員230万人、民間人80万人。
200px-Yamato_explosion[1]
戦艦大和の最後

現日本国憲法は戦後アメリカ合衆国により創案された条文を日本が手を加え昭和21年11月3日に制定された。
その中の
第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

は世界に誇るべき条項だと思う。

戦後63年経って日本独自の憲法を作ろうとする動きがあるが、現憲法の『戦争の放棄』だけは
継承して欲しいと願う。

兵員、民間人合わせて310万人の殆どの方が自分の意思に反して死んでいったと思う。
ある小説の冒頭の一文に。
「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない。
 だが、その戦争は、まだつづいていた。
 愚かな、指導者達に、ひきいられた国民ほど、あわれなものはない。
 国民は、八年に及ぶ、戦火に、親を失い、子を失っても、その苦しみに堪えてきた。」


将来にわたって日本が再び愚かな指導者達にひきいられないとは限らない。
そうならない為に政治家達を厳しく監視しなければと思う。

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