4月17日付け神戸新聞夕刊に
シンクタンク・ソフィアバンク副代表
藤沢久美氏が書かれた−随想−「がんばって」を長いですが全文紹介します。
「がんばって」。父が闘病中に一番嫌っていた言葉だ。抗がん剤で辛い日々、お見舞いに来てくれる人の誰もが、「がんばって」と言って帰っていく。夜、病室で二人きりになった時、父がポツリとつぶやいた。
「こんなにがんばっているのに、こんなに辛いのを我慢しているのに、これ以上がんばれと言うのか。誰にもこの辛さは分からない」
励ますつもりでかける言葉「がんばって」は、本当にぎりぎりのところでがんばっている人にとっては「さらなる苦しみに耐えてください」とも聞こえる残酷な言葉だった。
励ましのはずの言葉が、人を深く傷つける言葉になってしまう。
以来、気軽に「がんばって」とは言えなくなった。
「がんばる」という言葉は、極めて主観的な言葉だ。
「どうして成績があがらないんだ?」「私なりにはがんばっているのですが」。そんな会話を耳にすることがしばしばある。
「がんばる」の基準は極めてあいまいだ。
耐えがたい体験のない人間から発せられる「がんばって」は、闘病生活を送る人にとって、あまりにも気楽な言葉なのだろう。
誰もが使う「がんばって」は、人生の苦難を全力で乗り切った人が発して初めて、励ましの力を持つのかもしれない。
多摩大学大学院教授の田坂広志氏が大切なことを教えてくださった。
「何を語るかよりも大切なことがある。それは誰が語るかだ」
偉人の名言集は数多くあるけれど、それを覚えて使ってみても、その言葉には必ずしも力がない。偉人と呼ばれる人が、その言葉を発するまでに歩んだ人生の深みがあってこそ、言葉が生きる。
「言葉を大切に」。それは、「人生を大切に」と同義なのかもしれない。
重みのある随想からは、とんでもなく軽い話になって「この不謹慎者!」とお怒りを受けるかも知れませんが、我々クライマーも「がんばって」をもじって「ガンバ!」と発する。どんな時に発するのかは省略します。
「ガンバ!」の声の裏には色んな思惑が隠されていると私は思っています。
…真剣な願いを籠めての「ガンバ!」…
…他の人が言っているのでお付き合いでの「ガンバ!」…
…えっ!?と驚きを含んでの「ガンバ!」…
…おい!おい!行くのか〜と嫉みの「ガンバ!」…
…落ちろ!落ちろ!との祈りの「ガンバ!」…
などなど、どうですか思い当たる節はありませんか。
私など特定の親しい仲間から、ある思いの籠った「ガンバ!」を掛けられます、その時は背中に突き刺さるような感じがします。