2007.11.30 なんで…
台湾旅紀行二日目の記事がほとんど出来上がる寸前に何故なのか消えてしまった。今日はもうやる気を無くした、それに明日早朝から帝釈に行くのでもう寝る。ので台湾旅紀行二日目は来週になります。
それにしても折角の力作が…くっそー!!!!!
2007.11.29 自己責任?
今日、神戸登山研修所でボルダーをしていた女性が落ちて腰椎圧迫骨折する重傷を負った。
彼女は最近メキメキ上達しクライミングが面白くて仕方無いようで週に1回はボルダーをして鍛えていた。
ここのボルダー壁は2階にあり高さは2m50cmほどだと思う、落ちたときの衝撃を和らげるマットは厚さ2cmほどの物を2枚重ねている。
他に大きなボルダーマットが一枚置いていたと記憶する。
私はこの施設には年に数回しかいかない、今年は一度ほど行ったように思うが、ここでボルダーをする時はいつも落ちるときには足から落ちるようにしないと大怪我をすると思いながら登っている。
もしここのマットが厚さ20cmいや10cmあったなら彼女は大怪我をする事は無かったと思う。
営利を目的にしていない為500円と言う低料金で一日遊べるが、ホールドは長年使込まれ滑りやすく変な体勢で落ちる事がある、過去にも大怪我をした方がいる。その後大きなボルダーマットが置かれたが、高さが無い為トラバース課題が多いここの施設にはあまり意味が無いように思う。早急に厚さ20cm程のマットを全面に敷いて欲しいと強く思うのだが無理だろうか…
その後の情報で彼女は同じ区内の病院に入院したそうだが可也の長期になりそうだとの事だった。
それと自己責任と言う言葉を聞いたが果してそうなのかと考えさせられた。
今回の台湾は関空13時40分発だったのでゆっくり家を出た。
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ラッシュを過ぎたのか閑散とした関空。
今回はチャイナエアラインエアバスA330-300だった。チャイナエアラインは結構事故を起こしている1994年4月26日、台北・中正国際空港(現・台湾桃園国際空港)発名古屋空港行きの中華航空機CI140便(エアバスA300-600R型機・登録番号B-1816)が、名古屋空港で着陸に失敗して墜落、乗客乗員271人のうち264人が死亡し7人が負傷した。最近では8月20日那覇空港で燃料漏れで爆発炎上あわや大惨事になるところだった。
なので今回の離陸は特に恐かったが安定飛行に入って一安心。飛行時間が約3時間なので機内食は簡単だろうと思って関空でカレーを食べていたが出てきた食事が結構なボリュームがあった、今回は食べ過ぎないように注意しようとの思いは何処へやら綺麗に完食。
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着陸もスピードが緩くなるまで緊張が解けない。
台湾桃園国際空港の床は大理石でピカピカに輝いていた。
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台湾花蓮市は大理石の産地でイタリアに次いで世界第二位の産出量を誇っている。
韓国のハングル文字は皆目チンプンカンプンだったが台湾は漢字の国なので理解出来る文字が結構あるが、これは英語表示が無ければ読めない。
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台湾には我が国のようにカタカナが無いので英語の固有名詞などは全て当て字を使っているそうだ。
これは英語表示が無くても読める。
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今回のツアーは45人の参加で2グループに分かれた、我々を2日間運んでくれたVOLVOのバス。

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後部に描かれているのは台湾名産のアップルマンゴーだ、ガイドの説明で「世界一美味しいよそれに安いよ、ただ時期は終わっただからちょっと高いよ」との事だったが旅行中に一度も口にする事は無かった。
台北から高速道をぶっ飛ばして台中へ予定では宝覚寺の見学だったが暗くて見えないので翌日に回す事にし夕食のため台湾家庭料理レストランに行った。
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丸いテーブルの一段高くて小さな丸テーブルが回る中華料理ではお馴染みのテーブルに人数分の料理が大きな皿に乗って次々出てくる、負けてはならじと貪欲に食べてしまった、今回の程々にの思いは早くも崩れ去った。
お腹が一杯になったところで台中市内のホテル「ROYAL TAICHUNG(皇家大飯店)」へ
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部屋に入って吃驚!広~い!それにベッドはキングサイズは2つなかなかええやんと思ったが…
風呂に入って寝ようとしたが車の音が騒動しくて中々寝付かれなかった。それは窓のサッシが貧弱で隙間が開いていた、普段静かな環境に慣れている身には耐え難い騒音だった。
寝たのは日付が変わっていた、そして起きたのは朝5時だった。
ボーっとした頭で2日目の観光へ…詳細は明日。

2007.11.28 やれやれ
四泊五日の日程で台湾をほぼ一周するパック旅行から昼過ぎに帰って来ました。四泊五日と言っても実質は三日間だったのでかなりの強行軍だったし二週間の間に二ヶ国の旅をするのはお隣とはいえやはり疲れた。
台湾の名所と土産物店、免税店をバスで連れ回されもう沢山との思いが最後の方には強くなったが花蓮市の阿美族の息を呑む美少女がいた民族舞踏と石灰岩の巨大岩壁と巨大ボルダーがゴロゴロしている太魯閣渓谷、そして台北の国立故宮博物館カステリョーネ(中国名は郎世寧)の絵を見学できたのは一番の収穫だった。
明日から追々に紹介します。

帰ってお気に入りのHPやブログを丹念に見た、この連休に色んなところに行っておられるのを読んで軟弱に成った身体とモチベーションを戻すのには何時までかかるやろうと焦りを感じる。
寝よ…


2007.11.24 今度は台湾へ
今から28日(水)まで台湾に行ってきます。
のでしばらくブログはお休みします。
ほな
食べ過ぎに注意せねば^^;
2007.11.23 晩秋の不動岩
3月28日以来8ヶ月振りに不動岩に行った。
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連休で遠征に行ったパーティーが多いのか不動岩全体で我々を入れて5パーティーという静かな不動だった、正面壁は我々3人と2人のパーティーの5人だけだった。
不動岩はフリー、本チャン、アイゼントレーニングなど多様なクライミングが行なわれている貴重な岩場だ。
また正面壁やシアターは冬のエリアとして人気がある。
シアターは初心者、初級者エリアとして正面壁は初級者、中級者エリアとして賑わっている。
今日は久し振りに「リトルボーイ」「ペガサス」「タイコ」「ワンマンショー」を楽しく登った、風も無く太陽が壁全体に照りつけ少々暑かった。
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これから不動は多くのクライマー達で賑わう、今日一日は静かなクライミングを楽しめた。
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不動周辺はすっかり秋の気配を色濃くしていた。
2007.11.22 閑人閑話 四
会社帰りの電車で前の職場の同僚と一緒になった。
彼は現在教育委員会関係の仕事をしている。
話の中で給食費を払わない親とか、子供が病気で休んだ日数分の給食費を返せとか、父親参観日に出た親から会社を休んだので日当を払え等と常識では考えられない親がいる話で二人して大いに憤慨した。
それから交通マナーの話になり、信号を守らない歩行者や自転車の話題になった。私は神戸の中心街三宮に勤務地があるので歩行者や自転車の無軌道振りには何時もハラハラさせられている。今日もおばちゃんが車の陰から自転車で飛び出してきて危うく衝突しそうになったがハンドルを大きく切って何とか回避した、おばちゃんは舌をだしてペコリと頭を下げたので怒鳴るのを止めた、直ぐ近くに信号のある横断歩道があるのに待てないんかなぁ…。
待てないと言えば、同じく今日、若い母親二人連れが歩行者用信号を無視して走って渡った、一人は子供を乗せたバギーを押して、もう一人は小さな子供の手を引いて慌てて渡っていた、この親は子供にどんな教育をしているのかと思った。
しかしこの母親の親は私と同じ団塊世代の人達だ、責めなければならないのは我々団塊の世代の親だろう。
よその国から押し付けられた民主主義がどこで勘違いしたのか自分勝手な個人主義にしてしまった。
充分な物の無い時代に育った団塊世代の親は子供だけには貧しい思いをさせたくないとの思いで好き放題にさせてしまった結果ではないかと思う。
ホンマこのさき日本はどうなって行くのでしょうか…
少し愚痴ってしまいました^^;

2007.11.21 因縁の決着
MORI様が羽山の「お百度参り5.13a」をR.Pされた。
その時の感想がMORISAMA通信に載っている。コメントに55で13とある、これは55歳で5.13を登るという意味だと思う。
確か初13ではないかと思う(間違っていましたらごめんなさい)
私は1歳上の56歳ですが12がなんとか登れるレベルで13は遠~い彼方です。しかし絶対無理だとは思っていません、が今のクライミング環境では登れないだろうと思っています。
週1回良くて2回では現状維持が精一杯で最近は下降気味状態ではないかと思う。
全ての休みをクライミングに打ち込めたらと思うが円満?な家庭を維持しようと思えば無理だ。では全ての休みをクライミングに打ち込める環境になれば登れるかといえば疑問や。
これは環境云々ではなく強い意志の問題ではないかと思う。
MORI様のブログを拝見していたら全ての休みを自分のクライミングだけに費やしていない。ルート開拓や整備、クライミング教室や地域の行事に積極的に参加している、このような環境の中での何時かは決着するとの執念にも似た強い意志を持ち続けた結果だと思う。
感想の最後に…まだまだ挑戦しますよ・・・! とある同世代として応援すると共に私も頑張ろうとの思いにさせてくれる。
私にとって12は夢だった、それなりの努力をしてなんとか登れるようになった。今13を夢として目標としている。叶わないかも知れないが夢として目標として持ち続けようと思っている、その為の努力もして行く。
誰が言ったのか忘れたが夢は持ち続ける事が大切、諦めたらそこで全てが終わってしまう。
三日なんてあっ!と言う間に過ぎてしまう。
まぁ~少々飽きてきたので早く帰ってクライミングに行きたくなっていた。
最終日もホテルからバスに乗って『韓国式朝定食』を食べに行った。
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ワカメとウニの味噌汁が美味しかった。
済州島には鉄道が無く路線バスとタクシーが主な公共交通機関になっている。
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しかしこの行先表示ではどのバスに乗れば良いのかチンプンカンプンだ。
朝飯を腹一杯食べて済州島の南にある「薬泉寺」に行った。

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甍と色彩は見事だった。
次に「山房窟寺」に行った。
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この山の中腹の洞穴に小さな寺がある。
寺よりも岩壁のスケールに圧倒された。駐車場から15分程で壁に行き着ける。
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これなんかは面白いラインが引けるなぁ~としばし見とれた。
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大小のポケットが無数に開いていて面白いラインは引き放題です。ただここの岩はザラザラしていて砂岩のようでした。
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中腹から見た景色、日本の田園風景と同じです。ただし済州島は火山島で水捌けが良過ぎて稲作は出来ないそうです。
代わりに蜜柑が良く育ち島のいたる所に蜜柑畑があります。風が強い為蜜柑の木は全て低く収穫しやすそうでした。
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バスで移動中にこの様な風景がいたる所で見られました。これはお墓で石垣の囲いの大きさで権力や貧富の差が分かるそうです。済州島では今も七割が土葬だそうです。
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次に行ったのは「ホテルロッテ済州
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我々が泊まったホテルとは桁違いの凄さでした。
ここからバスに2分程乗って昼飯を食べに行った。
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メニューは『海鮮トッペギ』でこれもまた美味しかった。
昼飯後に「柱状節理」の海岸を見学した、日本の「東尋坊」と同じだが東尋坊の方がスケールがあるように感じた。
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済州島はサザエや鮑、ウニなどが多く取れる、海女さんが採れたての鮑やサザエを売っていた。
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ここの柱状節理よりも遠くに見える海岸線と山に目を奪われた。
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ここにも無数のルートが引けそう。
最後に行ったのが「おばけ道路」でNHKでも取り上げられたそうで、今回の旅で一番面白かった。
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この写真を見る限り登り坂に見えますが実は下り坂なんです。
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水を入れたペットボトルを置くとなんと不思議?ペットボトルが登り坂を登って行きます。
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これは周囲の風景によって引き起こされる目の錯覚何ですが現場に立ってみればどう見ても登り坂にしか見えません。
この「おばけ道路」を後にしてこれまた最後の民芸品店に連れて行かれ
16時半頃空港へ
ここで3時間程待たされ緊張の離陸後簡単な機内食を食べた。
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そしてマタマタ緊張の着陸を経て無事関空に着いた。

帰りは往きと同じ「ベイシャトル」に乗り海路神戸空港へ
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しかし写真でお分かりのように食べてばかりの旅で家に帰って体重を量ればなんと!1.8Kgも増えていた、最悪や…
減量しなければ…
済州島は魅力ある岩壁が無数に点在していますがガイドさんに聞いたところクライミングエリアは無いそうです、なんか勿体ない気持ちでした。
これで済州島観光ツアーを終わります。辛抱強く見て下さり感謝します。ほな!

我々が泊まったホテルは南ソウルプラザホテル&カジノ済州と言って済州市内のメインストリートにある。
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8時に朝食を食べる為バスに乗って移動した、所要時間約15分。メニューは『鮑のお粥』
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は三切れ程で後はホヤだった。
食事後、済州大自然観光に出発、先ずは世界遺産の「万丈窟」へ
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ここは溶岩洞窟では世界最大だそうで大型バスやダンプが悠々走れるほどの広さと高さがありました。
次に行ったのは「榧子林Bijarim」で世界最大の規模が有るそうです。
この後は昼飯で名物『太刀魚の煮付定食』を食べました。
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日本で太刀魚の食べ方は塩焼きが定番ですが済州島の煮付けは絶品でした。
お腹一杯になって次に行ったのが又もや世界遺産の「城山日出峰」と言う海底噴火よって出来た火山でした。
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山の周りが全て溶岩で出来ている岩壁なのでクライミングのルートは無数に出来ると思うが何せ世界遺産の為開拓は出来ないと思う。
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海抜182mの山頂から見た景色、日本三景の一つ天橋立に似ています。
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本日三つ目の世界遺産「城邑民族村」に行った。ここに若いが喋りの達者なヨジャが居た。
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喋りの面白さでツアー客を引き付け最後に掘っ立て小屋に案内し催眠商法で高い薬を売りつけた、ここの特産品の「冬虫夏草」の詰め合わせが日本円で六万円には恐れ入った。皆が競って買うのには少々呆れた。
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この民族村に黒豚のハナちゃんが居たが非常に可愛くて人懐こかった。昔は黒豚は人糞にて育てたそうだが今は法律にて禁止されている(当り前や)写真の竹の棒はその昔の男性必需品だったそうです、女性は必要無かったと言えばお分かりになると思います。ヒントはブタを飼っているところに便所があった^^です。
この後お決まりの民芸品店に連れて行かれた。
晩飯はヨン様常連の「ヌルボム」にて『黒豚カルビ一人前』を食べた。
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旨かった。
今日もホテルでシャワーを浴びて速攻で爆睡した。

明日は最終日お楽しみに
そもそも女房は海外旅行には友人と行っていたが近頃友人が誘ってくれなくなり私にお鉢が回って来た。お付き合いをしておけば今後クライミングに気持ち良く送り出してくれるだろうとの下心でお供することにした。
15日(木)4時半に起き神戸空港から関空往きのベイシャトルの6時30分始発に乗る為、家を5時50分に出た、充分余裕で間に合うと思っていたが出航1分前に乗り場に着いた。私が始発時間を6時39分と勘違いしていた為ギリギリになった。
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大阪湾に上がる日の出を眠気眼で見ながら約30分の船旅だ。
離陸は何度経験しても緊張する。
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7時過ぎに関空に着いて離陸は9時半。9.11のテロ以来出国に時間が掛かるのは仕方ないが退屈してしまう。
安定飛行に入ると程緊張感から開放される。機内での唯一の楽しみである機内食だが済州島までの飛行時間が約1時間半の為質素だった。
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関空での待ち時間2時間半、飛行時間1時間半で済州国際空港へ着いた。着陸も離陸と同様に緊張する。
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専用バスに乗り観光前の腹ごしらえを「鯖定食」でする。
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「鯖定食」って韓国に於いても一般的なのかと考えながら腹一杯食べた、鯖以外は御代わりは何度でも出来る。
腹一杯に成った所で観光に出かけた。
旧済州市街地に行ったがハングル文字だけの看板で全くチンプンカンプンだった。
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市場に行ったが日本では見られない品々が非常に面白かった、済州島はソウルと比べれば高いそうだ。
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何と言う魚か聞こうと思って店の人に片言の英語で聞いたが私の英語が不味いのか英語を理解していないのか通じなかった。
次に行ったところは『三姓穴 Samsonghyo Shrine』で、済州島は無人島だったがこの三つの穴から三神人が出てきて国を興すと言う神話の場所だった。
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中に入る事が出来ないので穴を見ることは出来なかった。
次は『竜頭岩 Yongdu-am(Rock)』に行った。済州島は火山の噴火によって出来た島でその昔溶岩が海に流れ固まってこの様な形になったそうだ。
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この周辺の海岸を探せばボルダーが相当あると思う。
その後、済州道民族自然史博物館とツアー旅行お決まりの新羅免税店に寄り初日の予定を終えた。
晩飯は『プルゴギ』を食べた、旨かった。
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韓国料理も旨かったが観光地をあっちゃこっちゃ連れ回され頭の中も満腹になった。
泊まりは市内の高級ホテルで早々に爆睡した。
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明日は二日目の予定。
無事に帰国しました。
済州島は火山島と言うことなのでええ岩壁があるやろうなぁ~と
思っていたが期待に反せず、すんごい壁があっちこっちにありました。
追々紹介します。まずはさわりを
済州島北部の『城山日出峰Seongsan Ilchulbong』と言う噴火口跡で182mの高さがあり溶岩で出来ています。未開拓です。
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その他魅力ある壁がいっぱいありましたお楽しみに^^
2007.11.14 済州島
明日早朝から韓国の済州島に2泊3日の旅行に行きますので暫らくブログはお休みします。
もちろん女房とです。
2007.11.13 ALWAYS
会社の上司にALWAYS三丁目の夕日のDVDを借りて観た。     D0115009[1].jpg

上司曰く「マメオさんの子ども時代そのままの映画」と言われ興味津々で観たが最後まで懐かしさに引き込まれて見入ってしまった。
主人公の一平は多分私と同い年だと思う。それに私も一平と同じ様に『坊ちゃん刈り』をしていた(その時の私は髪も多く黒かった^^)
…携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。…との言葉はもう一度あの時代に帰りたいとの思いを強くする。学校から帰ればランドセルを放り投げて近所の悪ガキとラムネやベッタン、相撲に鬼ごっこ、小学生の高学年になれば山の手にある金持ちの家の呼び鈴を押して回った、腹が減ったら畑の胡瓜やトマト、他人の家に生っていてる柿やイチジクを盗んでおやつ代わりにした。
裏山の摩耶山や六甲山は私の遊び場だった、夏は砂防ダムで泳ぎ冬に雪が降れば波板の切れ端を持って摩耶山頂まで走って上がった。
勉強は全くしないでゴンタばかりして毎日泥んこになっていた。
私の家庭内は病弱な父を母が懸命に支え貧しく決して幸せな家庭だとは言えなかった。
三人兄妹の末っ子の私は三歳上の妹とよく喧嘩した、兄とは六歳離れていたので喧嘩にならなかった。よく喧嘩した姉とは今一番仲が良い。
私は兄妹に比べれば末っ子の特権で我がままに育ったと思う、それは私が病弱で母は永くは生きないだろうと思っていたので好き放題させていたと私が成人になった頃に言われた。
私が両親の大変さを身を持って感じたのは結婚をして子供が出来てからだった、その時には父は五十六歳で他界していた、父に対しては決して良い息子ではなかったことが今では悔やんでも悔やみきれない思いでいる。
ALWYAS続・三丁目の夕日が今上映されている、昭和34年が舞台だ私が8歳の時の事だ、又一時あの当時に戻れる…




2007.11.12 11日の備中
11日は当初の予定では権現谷で「河原ベイト」をR.Pして「もも」に一便出して昼頃には2ルンゼに転戦し「寺島ルート」と「半分バナナ」をやる予定でした。しかし1便でR.Pしようと思った「河原ベイト」に3便出したがワンテンがやっとで情けない結果に終わった。原因は分かっているのに修正出来ないのは力不足のなにものでもない。
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Hodaさん撮影(無断で拝借)
しかし権現谷は初登やらR.Pがあっちこっちのルートで繰り広げられた。しかも大盛況で20人程のクライマーで賑わっていた。
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まず初めは、こぶしの方が「下下5.11d」を行けてもたとR.P、続いて兵庫のC女史が「下下」をR.P、岡山のB場さんが「もも5.12a」をレスト無しで綺麗にR.P、それから先週「蛇の道は蛇5.12c」をR.Pされた大阪の方が「縄文人の逆襲5.12c」をR.Pされた、この方は私と体格的には同じですがホントに強い方です、あやかりたい。そして名和CCのHodaさんが前日の「参勤交代5.12d」に続き「笹の茶5.12d」をR.P、極めつけは島根フリー協のgakuさんが「スーパー笹の茶5.13c?」を初登するはと権現谷は熱い一日でした。
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「下下」でアップするgakuさん
そんな熱い権現谷を後に15時頃2ルンゼに移動したが、権現谷とは打って変って3パーティーだけとちょっと寂しい感じでした。
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「寺島」をやろうと思ったが終了点まで抜けれる自信が無いので「半分バナナ」をテンションしながら2便出した。
この日は、パートナーのあらみちゃんも絶不調でふたりして、こんな日もあるわなぁ…と慰め合いながら暗くなった2ルンゼを後にしました。
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用瀬小屋横で帰り支度をしていたら先週お世話になった島根のI君とAちゃんに会った。じゃろう岩に行ってたそうです。
I君が「びんぼうゆすり」をR.Pできましたと言われたので5.12cやな凄いなぁ~と言ったら、いいえ5.13cですと言い返された。どうも認識不足で失礼しました、それにしても5.13cとはホンマに凄い!おめでとう^^
岡山や島根そして広島の若いクライマーに強い方が多くいますが、権現谷でその一端を見ることが出来ました。
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B場さんのご子息で確か小学校三年生だとお聞きしましたが人工壁では5.11aを登られるそうです。島根や岡山では小学生や中学生を対象にクライミング教室が定期的に行なわれている、強いクライマーを育てるには裾野を広げるのが大切です、Mori様、二期生さん、I先生、gakuさんなど若い目を育てて行こうと情熱を持った指導者が多くおられる、そして湯原には立派な人工壁がある、羨ましい限りだ。それに引き換え我兵庫の実情はどうか、私を含め自分の登りだけに汲々している。人材とハード両面で兵庫は大きく遅れを取っていると思う。
何とかならんか…

「スーパー笹の茶」を初登されたgakuさんのコメント→ここ
2007.11.09 硫黄鳥島
今日、真保裕一氏の「震源」を読み終わった。
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内容は気象庁気象研究所主任研究官でクライマーでもある主人公が元同僚の消息を探すうちに内閣情報調査室が日本で暗躍する諜報員の焙り出し作戦に利用されるというもので、その文中に『島の周囲は、ほとんどが岩崖によって覆われていた。フリークライミングを趣味とする者なら、涎を垂らして喜びそうな、いかにもよじ登り甲斐のある壁がぐるりと取り巻いていた。火山性の堆積物が、長年の波による浸食作用を受けて、削り取られてたものだろう。』との箇所を読んで俄然興味が沸きネットで早速調べた。この島は硫黄鳥島(いおうとりしま)と言って南西諸島の島。行政区画は沖縄県島尻郡久米島町。日本の気象庁により火山活動度ランクCの活火山とされている島で、火山名として沖縄鳥島と呼ばれたこともある。沖縄県の最北端となる無人島である。
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硫黄鳥島紀行という伊仙町のHPが島の岩崖の様子が良く出ていて面白い。それに海岸のいたるところに温泉が湧き出ているのもいい。
一ヶ月間程水と食料を運び込んでルート開拓がてら温泉三昧などもいいのはと考えた。退職後に行って見ようかなぁ~
やっと最終回を迎えることが出来ました。
最終回と言っても裏話は前回で殆ど終わっていますのでここでは岳人とは別の「温故知新」までのアプローチの解説をしようかと思います。
須磨労山のホームページのトポにも掲載していますが、不行沢からの7ピッチを解説します。

1P目40mⅣ級…遭難プレートのある所が取り付きで、緩いスラブを登りテラス状のところを右上します。左上に伸びているバンドを辿り木が生えている手前を右上気味に直上するとクラックがあります、ここにリングボルトの懸垂下降用支点(50mシングルロープ用)があります。ここまでプロテクションは左上するバンドのハーケンのみです、落ちる事は無いと思いますが落ちれば重大事故になりますのでⅣ級と侮らず慎重に登って下さい。
私は左上するバンドの上部辺りにプロテクションの設置を要望したのですが、N村さんから初登以来この状態で来ているので現状を維持したいと言われ渋々納得したが、今は打たなくて良かったと思っています。

2P目25mⅢ級…1P終了点から左へ5・6mの所が取り付きです。
草の付いたボロボロのフェースを右上にある大きな松ノ木を目指します、松ノ木からはブッシュ帯の踏み跡を辿って行くと陰湿な壁に突き当たります。そこがNo,3チムニー下で3P目の取り付きになります。
大きな松ノ木は懸垂下降するときの支点として使います。このルートにプロテクションはありません。

3P目30mⅣ級…No,3チムニー左のフェースを登るのですが、少し木登りをしてのスタートとなります。プロテクションとしては出だしに残置ハーケンと中間部に2本新たにグージョンボルトを打ちました。
最後の傾斜が緩くなる箇所は脆いので落石をさせない様に注意して下さい。左上に大きな壁が、右には木や草の生えたバンドのある所が終了点です。ラッペルステーションを設置しています。

4P目10mⅢ級…岳人に掲載されているトポでは3Pに含まれていますが、間違って左壁(推定5.11b未整備)に行かれるパーティーがあったので区切りました。
右に木や草の生えたバンドが北壁バンドです、ここを登って行きます。ここにはプロテクションとして残置のリングボルトがあります。
ラッペルステーション設置。

5P目30m5.10aB6本…いよいよ「温故知新」の始りです。
左上の檜を目指します。左へトラバースし直上後左上します。
檜のある凹角基部がビレイステーションですが、非常に脆くあえて右の壁にラッペルステーションを設置しました。

6P目15m5.10bB4本…逆くの字の凹角のクラックを使って凹角出口まで登り右のフェースに出て直上し、やはり檜のテラスで終了。
凹角上のフェースの右は脆いので触らないでフェースを直上してください、その方が面白いです。
整備時に凹角に走るクラック部分にボルトを打つか打たないかでN村さんと意見を交わしたがクラックが濡れていることが多いので打つことにしたが発表後に要らないのではとの意見を頂いた。
ラッペルステーション設置。

7P目50m5.10aB12本…草も少なく岩も硬く変化に富んだ岩登りが視界も広がり高度感満点の中で楽しめるルートです。
終了点は肩のテラスにラッペルステーションを設置しました。
又ルートの中間部に50mシングルロープででも懸垂下降出来る様にリング付ハンガーを2個設置しました。
5.10aのグレイドを付けましたが5.9と感じられる方もいます、グレイドは兎も角私はこの最終ピッチを登りながら楽しくて楽しくて満面の笑顔でした。終了点の肩に着いた時は整備して本当に良かったと思いました。最終ピッチのライン決めを私に任せてくれたN村さんに感謝します。ありがとうございましたm(_ _)m
以上で「温故知新」裏話は終わりです。岩場でお会いした多くの方から読んでるでと言われ嬉しかったです。
長々と不味い文章を読んでくださり感謝します。
有難う御座いました。m(_ _)m

P.S
岳人ではドームの肩から懸垂下降で下山されていますが、時間があれば不行岳ピークから大天井岳を経由して下山してください。
下山には二通りの方法があります、車を東屋に止めた方は地蔵岳のコルを通り見晴し岩経由で東屋へ、地蔵岳のコルからピークへ登れば今登って来た不行岳北壁が一望出来ます、又見晴し岩からは地蔵岳の正面壁を登るクライマーが見えるでしょう。ここには『岩と雪の会こぶし』の人達が開いたマルチフリールート「セッピコルネッサンス5.11d」「上昇気流5.11b」「加古川~紅稜会ルート5.11c」があります。
車を下の駐車場に止められた方は出雲岩を通って下山すればいいでしょう。出雲岩の大ハングは一見の価値があると思います。
それから「温故知新」を登られた方や、これから登ってやろうと思われる方で、登った感想などをいただければ幸いです。

「温故知新」トポはこちら
「岩と雪の会こぶし」HPはこちら
地蔵岳マルチフリールートはこちら
雪彦山のHPはこちら
4日は、権現谷、2ルンゼ、長屋坂のいずれのエリアに行くのか迷いに迷い結局権現谷に行く事にした、混んでいるだろうなぁ~と思いつつもひょっとして空いてるかも…との考えは岩場に着いた途端無残にも崩れ去った。
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H県のU氏M女史ペアーが珍しく来られていた。U氏は「でぇこん」が宿題だったそうですがサクサクとR.Pされていました、さすがです。
私は「留吉」でアップし、ふゅきゃ君のヌンチャクをお借りして「河原ベイト」を一年振りに登った、核心までに少しホールドを忘れていたがワンテンで登れた、右横の「参勤交代」を登っていた四国のF君に核心部のところでガンバ!と励ましてもらったがフォールしてしまった、後でもう少し頑張ればよかったかなぁ~と何時もの事ながら少し後悔した。そのF君は「参勤交代」を3便目にR.Pした、上部での粘りは凄かった。しかしあの足の長さは反則や^^
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2便目にR.Pをと思ったがヌンチャクが回収されていたので止めた(情けな)それで「もも」を登る事にした。

その前にB場さんが「もも」のR.Pトライをされていて3便出された3便とも最後の終了点へのクリップ手前でフォールされていた。
それを見ていた私はある方と、あそこまで行ったら落ちる事は無いですよねぇ~と生意気な大口を叩いていました。
そして私の番が来た、途中テンションしながらも終了点まで行けるやろうと登り始めたら、『マメオさんは何年生まれ?』と聞かれた、『26年です』と答えたら下で 権現の主様達が『俺の方がマメオさんより年寄りに見えるか~?』『白髪の多さでいけばジョーさんの方が…』とかワイワイ騒いでいる。これに集中力を乱された訳ではないが、トラバースは何とか行けたがその次の左カチからが全く出来ず敗退した、大口を叩いた自分が恥ずかしかったです。
そりゃそーと神戸近郊の岩場を省いたら私が最年長者であることに大きなショックを昨年以来受けている。
ところで昨年2ルンゼの仙人から羽山の仙人に昇進されたお方は今いずこの仙人になられているのですか?

権現谷のトポがTC-Netでアップされています⇒こちら




初日の3日はGW以来の2ルンゼに行った。
2ルンゼにはS労山・T山岳会・O岳士会・無所属の混合混成軍団5名+ローカルふゅきゃ君とS県フリー協大阪支部の混成ペアー、そして大阪P会最強混成ペアー+Pの会1名とローカル5名で静かでした。
しかし備中三大ツエルブの一つ「寺島ルート」は順番待ちでした。ところで備中三大ツエルブのもう一つは権現の「もも」だそうですが残りの一つは何処にあるのか知りません、何方か教えて下さい。
権現の混雑を避けるのと暫らくワンテンでほったらかしにしていた「寺島ルート」を落としにかかるために2ルンゼに来た、ふゅきゃ君がアップを兼ねて登ったがテンション掛け捲りでビレイしながらホンマに落せるのかいなぁ~と心配したがヌンチャク回収を兼ねた3便目に見事落とした、おめでとう。
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昨日から来ていたS県フリー協大阪支部の混成ペアーyukio君が右手首を痛めたんですよ~と言いながら「寺島ルート」を楽しそうに登っていました。
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夕方に大阪で用事があるといって昼前に帰って行ったと思ったら40分ほどして戻ってきたから、未だ登り足らんのかと思ったら携帯電話を2ルンゼの最奥に忘れていて取りに戻ったそうでご苦労様でした。
私はGWの5日以来久し振りに「寺島ルート」を触ったがやはり中間部核心を越える事が出来なかったが大阪P会最強混成ペアーのK畑君とPの会K中さんの初トライで中間部核心を越える登りでヒントを得て2便目通算では6便目にして初めて中間部核心を越える事ができ上部最後の核心まで行く事が出来た。しかし若いK畑君が一撃で越したのにはホンマ驚いた
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ツアーの目標の一つが達成出来て、やれやれやっと光が見えてホッとしながら2ルンゼを後にし、S県フリー協の秋合宿に合流する為、西山高原に行った。
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S県フリー協の皆様色々準備してくださりありがとうございました。gakuさん、横ちゃん、トーマス君、おかっち君、そしてgaku夫人お疲れ様でした。

4日の事はあした。
今日先月30日に亡くなった明石のおじちゃんのお葬式に行ってきた。
私が物心ついた時から明石のおじちゃんと呼んでいた方だった。
私の両親と同じ高知県の出身で明石市に職を得、子ども三人を育て孫、ひ孫にも恵まれ81歳で亡くなられた。
今日明石のおじちゃんの顔を見て本当にいい人生を送られたなぁ~と感じた。
何時会っても優しい笑顔だったのが印象に残っている。
親切にしていただき有難う御座いました。安らかにお眠り下さい。