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受城異聞記(じゅじょういぶんき)  池宮彰一郎著

受城異聞記は、江戸時代に頻発した百姓一揆の中でも名高い「郡上宝暦事件」を題材としている。
99037533[1]
加賀百二万石、前田家には支藩が二つある。越中富山藩十万石と、加賀大聖寺藩七万石である。
大名家格の分かれ目は、十万石が境となる。
すなわち十万石以上は大大名、万石一桁台は小大名として扱われる。
同じ支藩でありながら大聖寺藩は常に富山藩から格下に扱われ続けた。
本藩の家禄を分けても、大聖寺藩の家禄を十万石に上げたい。と公儀に家禄高直しを願い出ていたが一向に栽下が下らない。
十数年経ち老中首座が代わり権謀家の堀田正亮になった。
その堀田正亮から加賀前田家当主重教に呼び出しがあり「一揆強訴の続く世の中で、以後の費えを構わず、禄高の高直しを望まれる裕福な大聖寺藩に隣国の高山陣屋と廃城高山城を接収願いたい」「なお…陣屋受取りの日は明年(1759年)一月一日と相なった。よしなに頼み入る」
確に国境を接しているが、加賀と飛弾の間には、標高八千九百尺(約2700m)の峨々たる白山と、その山なみの連なりがある。
今から250年前の一月一日と言えば現在の一月二十九日に当たる。現在装備を持ってしても容易ではない。受取り日に遅れれば「軽くて殿の御隠居。藩重役の罷免、蟄居閉門…重ければ、お国替えか…まさか取潰しにはなるまいが…」
かくして十二月五日城地受取りの軍旅は、大聖寺館の大手門を出立した。その軍旅は言語に絶する苦難の軍旅であった。
宝暦九年(1760年)飛弾高山陣屋併びに高山故城受取りの軍旅は、大聖寺藩邸に帰邸した。
出立の人員 二十四名
帰国の人員 三名


他に「絶塵の将」「おれも、おまえも」「割を食う」「けだもの」の四編が集録されいる。

2010.03.09 | Comments(0) | Trackback(0) |

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プロフィール

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Author:マメオ
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1951年1月3日生 ♂
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