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穂高を愛して二十年  小山義治著

yamahon3[1]
象君から借りた時、この本はU氏が愛読されている本ですと聞いたが、読んでなるほどと納得した。

私は数年前一度だけ縦走の途中に、ほんの少しの時間北穂高小屋に立ち寄った事がある。
もしこの本を読んでいたらもっと長い時間居て小屋の隅々まで眺めまわしていたと思う。

そして又行きたくなった。

小山義治氏、北穂高小屋創始者で2007年4月87歳で死去された。

あのいまわしい大戦が、何時の間にか『聖戦』の名にすり替えられて、戦争に勝つ為にはどんな手段をも選ばず、一億総戦力のひと駒にすぎなかった多くの人々は、ほとんど自己を喪失して個人的な理想とか抱負、まして自由など求める術はなかった。
その頃、私は、戦争にともなう一切の恐怖におびえながら、憑かれたように穂高に登った。
山を愛することは熾烈な戦争の中で、私に許されたたった一つの自由だった。
そして、通いつめた北穂高滝谷のとりこになり、その頂上へ山小屋を建てる希いを持った。
それは単なる戦争からの逃避ばかりではなく、自由な意思による創造への努力に生きることの他に、
私の心を支える何物もなかったからであった。


氏は、その希いを終戦後物資の無い中で実行に移して行った。
標高3,106m近くに建てるのである。
風の強さや雪の重みは平地とは比べ物にならい。
それに耐えるためにはどうしても梁が必要との大工の言葉に用意した梁は、
重さ35貫、長さ18尺。
現在に換算すると、重さ約131kg、長さ約5m45cm。
ヘリコプターの無い時代にどうやってこれを運び上げたか。
横尾本谷で伐り出した梁を三人がかりで涸沢まで担ぎ上げた。
そこからなんと一人が背負子に背負い急峻な北穂沢を四人交代で3日と6時間かけて背負い上げた。
スリップすれば即死が待っている命がけの仕事だった。

氏がこの本の中で、「私は年齢的に老いても、厳しいものから眼をそらしたくないと思っている。幸福とは安易や逸楽ではなく、努力と探求の中にこそ、まことの幸いがあるのではなかろうか」と述べられいる。私もまさにその通りだと思う。

なんとも纏まりのない記事になったが、この本を紹介し貸してくれた象君に感謝します。
ありがとう。

2010.08.27 | Comments(0) | Trackback(0) |

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プロフィール

マメオ

Author:マメオ
Mr ビーンズことマメオです。
1951年1月3日生 ♂
出生地:高知県内
現住所:神戸市内
家族:女房一人、息子二人、嫁二人、孫四人、その他昆虫、爬虫類等多数
趣味:クライミング、家の掃除など
収入:少々

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