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マメオ

Author:マメオ
Mr ビーンズことマメオです。
1951年1月3日生 ♂
出生地:高知県内
現住所:神戸市内
家族:女房一人、息子二人、嫁二人、孫四人、その他昆虫、爬虫類等多数
趣味:クライミング、家の掃除など
収入:少々


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あらみちゃんから薦められ、はたねーに借りる手続きをしてもらい読んだ。
分厚い本だが一気読んだ。面白かった。

本田技研の創始者本田宗一郎氏の夢はF1で世界一になることだった。

ホンダは1954年(昭29)1月ブラジルのサンパウロで行われたオートバイレースにドリーム号を日本車として初めて海外レースに参加させた。
意気揚々と出かけて行ったが、結果は参加22台中13位というみじめなものだった。
その2ヶ月後本田宗一郎氏は全従業員2500人に対して、次のような宣言をおこなった。
火のような烈しい宣言だった。

〈宣言〉
吾が本田技研創立以来ここ五年有余、画期的飛躍を遂げた得た事は、全従業員努力の結晶として誠に同慶にたえない。
私の幼き頃よりの夢は、自分で制作した自動車で全世界の自動車競走の覇者となることであった。
然し、世界の覇者となる前には、まず企業の安定、精密なる設備、優秀なる設計を要することは勿論で、
此の点を主眼として専ら優秀な実用車を国内の需要者に提供することに努めて来たため、オートバイレースには全然力を注ぐ暇もなく今日に及んでいる。
然し今回サンパウロ市に於ける国際オートレースの帰朝報告により、欧米諸国の実情をつぶさに知る事ができた。私はかなり現実に拘泥せずに世界を見つめていたつもりであるが、やはり日本の現状に心をとらわれすぎていた事に気がついた。今や世界はものすごいスピードで進歩しているのである。
然し逆に、私の年来の着想をもってすれば必ず勝てるという自信が昂然と湧き起こり、持ち前の闘志がこのままでは許さなくなった。
絶対の自信を持てる生産態勢も完備した今、まさに好機到る!明年こそはT・Tレースに出場せんとの決意をここに固めたのである。
吾が本田技研は此の難事業を是非共完遂し、日本の機械工業の真価を問い、此れを全世界に誇示するまでにしなければならない。吾が本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。
ここに私の決意を披歴し、T・Tレースに出場、優勝するために、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君と共に誓う。
右宣言する。                         本田宗一郎



氏は他のメーカーが先進外国製品のフルコピーに近いものがあるが、当社では絶対に他の模倣はしない。どんなに苦しくとも、自分たちの手で世界一を目指すとの信念を貫き、それから11年後の1966年(昭41)50cc、125cc、250cc、350cc、500ccの全階級を制覇して、オートバイ・グランプリのパーフェクト・チャンピオンになった。

そして未だ四輪車の開発中にも関わらずF1への挑戦が始まった。

幾多の苦難や試行錯誤(←本を読んで下さい)を乗り越え1986年遂にウィリアムズ・ホンダはF1シリーズチャンピオンになり本田宗一郎氏の夢は実現された。

この時のホンダのF1用ターボチャージャー・エンジンは1500ccで1000馬力以上の大パワー持っていた。他にこれだけの性能を持ったエンジンはなく、そのため国際自動車連盟は1989年からはターボチャージャーが禁止され3500ccの自然吸入エンジンだけになることが決められた。
これはホンダの技術について行けないためだった。

車好きの方には是非読むことをお勧めします。

※T・Tレース(ツーリング・トロフィー)
マン島TTレース(マンとうTTレース、英:The Isle of Man Tourist Trophy Race )は、1907年からイギリス王室属国のマン島(Isle of man)で開催されているモーターサイクル競技。競技は世界最古の議会で『青空議会』としても知られるマン島議会ティンワルドが制定した公道閉鎖令に基づき公道を閉鎖して行なわれる。←ウィキペディア・フリー百科事典より
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